vol.49-70 支援者が障害を作っている?!(最終回)

このvol.49も今回で最後になります
結局、1年10ヶ月かけて書いてきてしまいました💦
こんなに長くなるとは思ってもみませんでした💦
ここまで読んでいただいた方々ありがとうございます
これまでを読んでいない方も、この最終回だけ読んでいただければ、何が伝えたかったかが分かると思いますので、今回だけでもぜひ読んでみて下さい
イロハニトイロのような他とは違う奇妙な事業所ができたのは、vol.49に書いてきたようなことに8年前に気付いたからです
8年前に出版した僕の著書の「あとがき」に伝えたい想いを載せています

『あきらめてもいいんだよ』
そのあとがきの一部を掲載させていただいて、vol.49の締めとさせていただきます
最後までお付き合いいただきありがとうございました
次回からは、イロハニトイロの中の事をいろいろお伝えしていければと思っています
(『あきらめてもいいんだよ』あとがきより抜粋)
僕は精神障害を抱えた方々やそのご家族と関わらせていただく中で、どうして精神障害は起こってしまうのだろう、どうしてこんなに真面目にがんばっている方たちが障害を克服できず長い間苦しんでしまうのだろう、どうして一番心配し一番近くで応援しているはずの家族(親)が本人を苦しめてしまうことになっているのだろう、といつも考えていました。
しかし、考えても考えても答えは出ませんでした。
その理由は分からないとしてもそんな人たちを「僕が助けてあげたい。
一番に患者さんのことを考えられる支援者になろう」。
そう思って必死にがんばっていました。
そして、これまでの患者さんやそのご家族との関わり、また僕自身の病気の経験を通してやっとあることに気付けたのです。
それは、「僕がこの人たちを助けてあげたい」という思いの裏には、患者さんを弱者として見下している自分がいる。
「この人を良くしたい」という思いの裏には現在のその人を否定する自分がいる。
「この人の役に立ちたい」という気持ちの裏には自らの自尊心を満たすための材料に患者さんを利用している自分がいる。
こうやって自分が愛だと思ってやっている支援の裏には常に相手のありのままを否定する自分がいたのです。
そんなことに、僕はやっと気づくことができました。
そのことに気付けたとき、病気や障害を作っているのは僕たちのそんな思い込みの愛なのではないかと考えるようになりました。
親の「この子を立派な大人に育てたい」という大きな愛。
「この子を良くしたい」という先生の温かな愛。
「病気を治してあげたい。障害を無くしてあげたい」という支援者の優しい愛。
そんな温かでその人を思う愛が、いつしか躾や教育、支援という正義の衣を羽織って現在のその人を否定し続けることになってしまっているのではないだろうか。
そしてそのことが、その人自身の「自己否定」を強めさせていることになっているのではないか。
愛が本来の意味や目的を見失い、いつしか相手を傷付ける道具にすり替わってしまっているのではないか。
そんなことを考えるようになったのです。
精神障害を抱えた方たちやそのご家族の苦しみの原因の根底にはこの「自己否定」があり、支援者の「良くしたい」という姿勢がそれを強めることになってしまっていると気付けたとき、僕はこれまで関わらせていただいた方たちに本当に申し訳ない思いになりました。
そしてこのことを他の支援者の方たちにも気付いて欲しと思ったのです。
そんな考えに至った一方で、僕はやっぱり病気を治すのも愛だとも考えています。
その愛こそがこの本で伝え続けてきた「その人をありのままに認める」ということです。
親や先生や支援者が自分の正義や常識を押し付けるお仕着せの価値感の上にある愛ではなく、世界で一人の価値ある存在であるその人をありのままに認め、許し、理解しようとする愛です。
そしてその他人からの愛の中で、自らを愛するという「自愛」が育まれるのではないでしょうか。
それは、ダメな自分も含めてこんな自分でもいいんだと肯定できる感覚「自己肯定感」を持つことです。
「自己肯定感」が育った時、人は自らの足で自らの人生を自分らしく歩み始めると僕は信じています。
私たち支援者が本当にすべきことは、この「自己肯定感」を育むことなのではないでしょうか。
現在の僕はそのように考えています。
自分が自分を愛する力。
親が子どもを愛する力。
支援者が患者さんを愛する力。
この愛するということを今一度立ち止まり時間をかけて考えてみる価値は大いにあるように思っています。
(中略)
この本を読み終えた今のあなたなら冒頭に書かれた3つの言葉が理解できるのではないでしょうか。
「あきらめられた人は美しい」
肩の力が抜け、自分らしくイキイキと生きている人は美しく見えます。
「あきらめられた人はたくましい」
このありのままの自分に大丈夫だと思えている人は、どんな困難にあっても壊れないたくましさを持っています。
「あきらめられた人は人生をあきらめない」
現在の自分を認め許すことができたのなら、どんな状態であるとしてもその人生をあきらめることはありません。
人生を自ら創り始めます。
それがどんな人生になろうとも誰もが自分だけの一度きりの大切な人生を自分らしく歩んでいけると僕は信じています。
イロハニトイロ所長
金村栄治
